文廟記
- 『文廟』 とは孔子が文宣王の謚を贈られたので、孔子を祀る廟という意味です。この
『文廟記』 は4代多久邑主・多久茂文が元禄14年(1710)に著わしたもので、その内容は、京都の儒学者・中村タ斎に依頼して制作した孔子像ができあがり、多久に迎えたときの喜びと、これから建てようととする聖廟の意義や茂文の決意が次のように述べられています。
- 多久は小さな領地であるが、私は邑主としての責任があるので、治と教(政治と教育)はおろそかにできない。そこで一儒生に教育を行わせているが、まだうまくいかないところである
- 古人は 『廟舎をみれば即ち敬を思う』 と、また先の儒者は『敬は一心の主宰万事の根本にして万世聖学の基本なり』
といっている、そこで私も是非聖廟を建て、敬の心を育てたい。
- 更に若し聖廟が厳然としてあるならば、視る者は 『是れは、何の神であり、なにをお守りする神ですか』
と尋ねるであろう。 『この神は孔子という神であり、孝悌忠信の人をお守りする神である』。
この神を知り、視る毎に敬を思えば、知らず知らずのうちに孝悌忠信の心が自然と沸き起きてくるだろう、素より善良な者は、之を貴び善心を興し、不善なる者は、之を畏れ、自ら悪を懲らし心が起こり勧善懲悪が行われ、政治と教育が相俟って進んで行くだろう。朝夕、この神に拝手、恭敬するならば神の眷佑があり、善心が日々に増してくるのだ。・・・・・・(略)
註
☆一心の主宰=心をつかさどること。
☆万世聖学の基本なり=いつの世までも儒学の基本である。
☆孝悌忠信の人=親に孝行、兄弟仲良く、まめやかでまことのある人。
☆勧善懲悪=善を勧め悪を懲らしめること。
☆恭敬=かえりみ、たすけること。
☆眷佑=うやうやしくつつしむこと。
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